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初詣「ベビーカー自粛」論争で寺として当たり前の論点が出ない不思議

 

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年始早々、初詣「ベビーカー自粛」論争があった。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

で、倫理観の違いによってかなりの対立が起きたが、寺側の事情が説明されると「そんな事情があったんじゃしょうがないよね」と一気に収束を迎えそうな様子だ。

 

www.j-cast.com

 

これはとても面白い。というのも、一通りチェックしたコメントの中に「ベビーカー自粛は仏教(この乗蓮寺は浄土宗)の教義と照らし合わせてどうなのか」という論点を1つも見つけられなかったからだ。

ちなみに記事を見る限りにおいては、この乗蓮寺の僧侶もご自身の個人的な思いのみで↓浄土宗の教義としてどうなのかという視点はないように思われる。

 

取材に対し住職は、自分も孫をベビーカーに乗せて散歩に行くのが楽しみなため、自粛の看板を出すのはとても残念だった、としたうえで、ネット上で今回の件が「差別」や「少子化」問題になるのは想像もつかなかったし、それが寺に対する批判にも繋がっているとし頭を抱えていた。

 

海外のキリスト教会ならどうだったのか

 

飲食店なら分かる。単なる公共施設でも良いかもしれない。しかし今回の舞台は、仏教寺である。

仏教の寺における倫理的な問題に対し、仏教の教義から語られることがないというのはマコトに不思議な話ではないだろうか。

 

例えば海外のキリスト教会で似たような問題が起きたら、どうなんだろう。当然のようにキリスト教の教義と照らし合わせてどうなのかという話は出ると思うのだが。。ミャンマーやタイなどの仏教国だったら?

 

良いか悪いかを論じる気はなく、コノ辺が本当に日本らしい部分だと感じるのである。

 

日本人には「やむを得なかった」が効く

 

山本七平著『「空気」の研究』では、まさにコノことが語られている。

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

他の国とは異なり、日本人が絶対とする教義は「空気」である。なので、いかに「この情況ではしょうがなかった」「やむを得なかった」という空気を作るかが重要なのだ。

 

実際今回の「ベビーカー自粛」論争も、あれだけ倫理観についての言い争いがあったにも関わらず、寺の「やもえない」事情が明らかになった時点で簡単に決着してしまったように見える。
こういう決着のつき方は、大小問わずよく見られる光景だ。私は海外住みの経験がないので断言はできないが、こういう流れは日本独特のものではないだろうか。

 

以上『初詣「ベビーカー自粛」論争で当たり前の論点が出ない不思議』でした。最後までご覧くださいまして、誠にありがとうございました。

 

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