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宗教とは何かが10年以上経ってようやく分かった気がするので書いてみる

宗教とは何か。それは

人間が「絶対的な死」に対抗するために、別の絶対的なものを作るという作業

だと私は思う。

 

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死というのは、人間にとって全く非情なものだ。

どれだけ金を持っていても、どれだけ社会的に偉くても関係ない。どれだけ努力しようが、どれだけ怠けようが関係ない。死に方を選ぶ権利すらない。人は絶対に死ぬ。大事なことだと思うのでもう一度言うが、「人は絶対に死ぬ」のである。

 

こんな虚しいことってあるのだろうか。実際この厳しすぎる現実の前に、人はとてもとても素っ裸ではいられない。だから「死」に対抗できるような「絶対」を求める。それこそが宗教なのではないかと思うのだ。

 

例えば孔子の教え自体は宗教ではない。実際「儒学」という言葉もある。しかし孔子の教えを絶対視し出した瞬間に、それは「儒教」と呼ばれ宗教となる。

仏教もそうだ。もともとは悟りを開いた仏陀が「こうすれば悟れたよ」というノウハウを説明したものである。山の登り方が1つではないように、悟るための方法も1つではない。と個人的には思っているが、「仏陀の方法が絶対!」となった瞬間、これまた仏教という宗教になる。

 

じゃあ無宗教の日本人は?

 

日本人は無宗教と言われている。そして多くの日本人もまた、「自分は無宗教」だと思い込んでいる。そう、思い込んでいるだけで実際は違う。日本人の多くが絶対視するもの、それは「空気」だ。

そして「空気」を見事に書き記しているものの1つが、山本七平氏の著書『「空気」の研究』だと私は思っている。

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

 私は大学時代、宗教学を専修していた。にも関わらず、卒業してもなお「どこからどこまでが宗教なのか」という線引きがよく分からないままだった。しかしこの本のおかげで、この10何年モヤッとしていた疑問に回答が与えられたと思う。

 

かなり昔の本である。しかし今でも十分通用する。というか今読むと、日本の根本的なものが何も変わっていないことにビックリするし、この調子だと将来も変わらないだろうという予想ができる。是非おススメします。

 

本にはこのような内容が書かれている。

「日本人には固定された絶対がない。その都度、絶対視するものがコロコロ変わる」

 

 例えば311東日本大震災直後の原発問題。

あのときに蔓延した空気の中であれば、独裁ととられてもオカシクない「全原発稼働ストップ」という菅直人氏の超法規的措置も、アリとなってしまうワケだ。

現在、安倍晋三氏は独裁者だと叫ぶ人が少なからずいるが、本来、菅直人氏のこのような行為こそが独裁であり、違法以外の何者でもない。それにも関わらず空気さえアリになってしまえばアリなのだ。

ちなみに『「空気」の研究』には昭和の公害問題が描かれているが、原発問題とあまりにもソックリすぎて驚く。

 

空気自体は世界中のどこにでもある


空気というものは、別に日本に限らずどこにでもある。

しかし例えばキリスト教などの一神教の場合、教義こそが絶対であり他のものを絶対視すること自体が教義に反することになる。だから少なくとも日本よりは相対化の考えが通用することになる。


もちろんキリスト教などの宗教にも問題と思える部分がある。だから何が良いというわけではないし、何が良いという話をしたいわけでもない。

問題は日本人の多くが、自分たちがあるモノを絶対視しているその状態に気づかないことだと思っている。


以上「宗教とは何かが10年以上経ってようやく分かった気がするので書いてみる」の話でした。最後までご覧くださって誠にありがとうございました。

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